モロッコとわたしとものづくり ーwhoopie rouxをはじめた話ー


学生最後の年に訪れた、北アフリカの国 モロッコ。


バックパックで3週間。
訪れたのはもう随分前になるけれど、


・ whoopie roux をはじめたこと
・ 手仕事をつづけること
・ アップサイクル活動を取り入れたこと
・ ビンテージ品の取扱いもしていくこと


まとまりがないように見えるかもしれない、今の活動や私自身にとても影響しているので、一度整理をしたい気持ちになりました。

(長文になります)

※不勉強な個人的見解を多分に含みますこと、ご了承ください。



私はこれまでに、24カ国を旅しました。

その中でもモロッコの印象がなぜこれほどまで今も自分の中に残っているのかは分かりません。


ちなみにこの3週間は、
イギリス/ カナダ/ オーストラリア/ アルゼンチン・・・ 
それぞれ別の地から来た人たちと共に旅しました。

大学教授/ 医者/ 外務省職員/ 遺伝子研究者・・・

人生経験豊かで良識のある彼らと共に過ごし、どう思い、感じるかを意見交換することは、大学生だった私にとってとても新鮮でした。




手仕事について


旅の途中、のぞかせてもらった職人さんの仕事場。

道具はあるけど、マシーンはない。

長年の経験を積み重ねた手仕事により、納得のいく高い品質で、必要なものが、必要なだけ作られている。


小さい頃から、つくったり描いたりし始めると没頭してしまう私にはとても興味深くて、何時間でも見ていられた。




そして職人さんたちの手仕事に "敬意" と "対価" が支払われる社会。

時間をかけて一人前の職人になり、家族を養っている真剣な眼差し。決してすごい裕福ではないだろうけど、仕事に対する誇りが感じられた。

この社会にも、利潤を追求する大量生産品がまもなく入って来るのだろうと思った。
みんな、そうやってお金持ちになっていってる。

けどきっと、お金持ちになるのはこの人たちじゃない。


豊かになるって何なんだろう。




幸せとは


町の人たちは、幸せそうな人が多かった。
そして、とても親切だった。( 金銭のやりとりが発生しない場面でも )

日本は豊かだと言われるけど、あまり幸せそうに見えない。
幸せってなんだろうと考えさせられた。


あと、こうした国を訪れるということが、自分にとっての「貴重な経験」というよりも、
わざわざお金を出して見に行くという行為自体を「富める者のエゴ」のように感じてしまった。




南下して砂漠地帯へ入ると、インフラがない場所にテントを立てて、どうやって生活しているのか分からない人たちもいた。

豊かな国が今後も豊かであるために、貧しい国は貧しいままでいてもらう社会システムは、豊かな国の人間が動こうとしない限り変わらないのだろう。

でも、そういうのって偉い人たちが考えることだから。
自分にできることなんてないし。

って、私はこれからも豊かな国でなにごともなく暮らしていくんだと思ったら、

げんなりした。



「 喜捨 」の文化


道端で物乞いの人に会うと、暮らし向きのよさそうな人は、持っている小銭をさりげなく渡していた。


欧米では見たことがない光景で驚いた。


カースト制度の名残りで社会で上に行けない人がいるから、宗教的な教えで、持っている人は持っていない人に分けてあげよう

という慣習なんだと教えてもらった。



スーパーみたいなお店以外は値札がついていない。

会話を楽しみながら、交渉しつつ価格が決まるような労力を要するシステム。

外国人だし、ふっかけられるのは当たり前。
現地の人の10倍くらいで最初言われるから、半額以下のどこまで値切れるかが勝負だと。


いくら支払うのが妥当なのか、最後まで分からなかった。




でも、たとえば現地価格で10円のパンを100円で買わされたところで、私たちは明日からの生活に困るわけではない。

しかし彼らにとってはその90円で、明日も家族全員がごはんを食べられるのかもしれないし、その家の子供に靴を買ってあげられるかもしれない。

そうした気持ちも、ここに足を踏み入れる者には必要だと。

一方で、そういったことをあてにしつづける限り、彼らの生活が根本的に向上することはない、とも。


どの程度まで、どう振る舞うのが正解なのか。
とても胸が苦しくなった。




色彩のちから


町のあちこちが、独特な色遣いで彩られていた。

建物に描くということが身近にないせいで、最初はいたずら書きのように見えてしまったけれど、

家々がひしめき合う古道を歩くのが楽しかったり、建物の古ささえ味わい深く見えてしまうのは、色の魔法だと思った。


色彩には心を豊かにするちからがある。

ここの人たちはそれを知り、日々の中で使ってきたんだと思った。




あとアメリカ生活のことも


超大国アメリカ。大量生産、大量消費。
資本主義万歳。

この国の富の向こう側に、モロッコのような国がたくさんあるんだと思った。

自分が差別される側になるというのも、経験しておくべき、それこそ貴重な経験だった。

お金持ちの人が多くて、貧しい人も多い。
幸せとは何なのかとまた考えている自分がいた。

幸せに生きる選択をしよう、と思った。




たくさんのものが作られ消費され捨てられる中で、アメリカにもまた職人仕事で作られてきたもの、ヨーロッパから渡ってきたものもたくさんあった。

古きよきものに価値を見出し、大切にしている人たちとの出会いもあった。


お宅に直接お伺いして、譲っていただいたもの。
おばあさまやお母さまから引き継いだのだと、話を聞かせてもらったもの。
あなたが好きそうだからと、奥から出してくれたもの。

ゴミの分別もほとんどない国だから捨てようと思えばきっと簡単だけど、大切に保管されていた。



誰かの想いがあって作られたものも、必要以上に作られたものも。

たくさん載せたゴミ収集車の行く先で、それらは消えてなくなるわけではないこと。

地球は大きくて、思いを広げるとキリがないけれど。
見て知ることができない分、色々な本を読んだり、調べるようになった。

必要以上につくることが止められないとしても、捨てられていくことにはなにかできるのかもしれない

と思うようになった。



ものづくりのきっかけ


現地で個人事業主登録をして、ニューヨークにある事業者専用のヴィンテージ倉庫にも通うようになった。
閉鎖した倉庫の分も引き取っている、巨大な迷路みたいな場所。


そこで出会った、たくさんの きれいなヴィンテージカボション。
ビーズみたいに穴は開いていなくて、どう使えるのか分からなかった。

それでもなんだか縁を感じて、行くたびに、少しずつ集めはじめた。



調べるうちに、何十年も前に「コスチュームジュエリー」が誕生して、その最盛期にガラス工房で職人さんが作ったものらしいことが分かった。


「これを使って、こんなものが作れたらステキだけど・・・」


わくわくとアイデアだけで書いた、最初のデザイン案。
通えそうな距離にあるいくつかのアトリエにメール添付して聞いてみると、そのうちの一件で教えてもらえることになった。



家には、あまりに大きい手織りの道具一式もあった。
でも、糸の張り方も分からないし、毛糸も持っていない。


車で1時間くらいの場所に、手織りに詳しいおばあさんのやっている毛糸屋さんを見つけた。教えてもらえないかお願いしてみると、快諾してくれた。

近くに大きな糸工場があって、年2回、倉庫市をしていることも知った。

アパレル工場などで使われるサイズの、巨大な毛糸巻き。
こんなに残ってしまうんだと、びっくりした。


でも、ここからなにかできるんじゃないか?
薄暗い地下の倉庫だったけど、冒険みたいでわくわくした。




すべてを言葉にするとまだまだ長くなってしまうし、思いのすべてを言語化することはできないけれど。


活動をすること自体がわたしの幸せであり、
いいなと手にとってくださる方も幸せになり、

活動全体が誰かのしあわせにつながる (少なくとも好ましくないことが減る) ことで、


ずっといい形で活動していきたいと思い、色々やっている中にも一つの流れ/想いを持って、日々模索しながら進んでいます。



これからも、その時々できっと形を変えながら活動していきますので、あたたかく見守り、関わっていただけますと心強くおもいます。

また、こうした話にご興味がある方や、もっと詳しい方とお話できることがありましたら、とてもうれしいです。


特に結論があるわけでもない、とりとめのない文章でごめんなさい。
伝わるものがあったら、うれしく思います。

長文乱文、お読みいただきありがとうございました。


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whoopie roux | ウーピー ルー

" 主人公で 脚本家の、あなたへ " 人生という、長くて短い物語 ( ファンタジー ) 。 あなたらしさを思い出す、心強い味方を作っています。